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個人山行  富士山へ、0からの挑戦  

2017年8月22~24日              報告:芥川

2017年8月22日                        

 夕食を早めに済ませて、九州道、山陽道を走り、宮島サービスエリアで車中泊。

明朝早起きして名神、東名高速を飛ばして、14時頃、富士市に着く。市の観光課に立ち寄って、0からの挑戦「富士登山ルート3776」の説明を受ける。

 予約しておいたホテルにチェックイン、時間があるので、田子の浦まで歩くことにした。田子の浦は山部赤人の歌碑などがあって、今は公園となっている。ここにはスタート地点を証明するスタンプも備えてあるが、この地点は砂丘の上で、海抜10m以上ある。

 

​ 0mからの挑戦であれば、波打際に立たなければならない、そう思いはじめた。だが波消しブロックが高く積み上げられ、浜辺一帯、延々と続いている。容易に波打際に近づくのが困難だ。幾重にも重なる障害物を、登ったり降りたり、人の通れそうな隙間をやっと見つけた。苦闘の末ようやく渚に出ることができた。

 厳密に言えば、ここが本当のスタート地点なのだ。数組のカップルが潮騒を聞きながらデートを楽しんでいる、景勝の地で幸せそうだ。茜に染まる富士を仰ぎながら、ホテルに着く。

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8月23日

 天高く晴れ今日は暑くなりそうだ。昨日の夕刻、スタート地点の田子の浦まで歩いているので、今日はホテルからのスタートになる。食料と水を十分つめ込んだリュックを背負い朝日を浴び、3776ルートを歩き始める。道路の要所には表示板が埋め込まれているので、迷うことはない。車の多い平坦な街中の道路をひたすら歩く。10時頃最初のチェックポイント、よもぎ湯に着く。スタンプを押して、再び歩きだす。

​ 気温は上がり道路からのはね返りも強くなる。途中小高い丘の上に杉木立に囲まれた、涼しげな場所を見つけた、ここで弁当を使う。涼しい風が吹き抜け別天地のようだ。ベンチの上で休んでいると、一時間以上も寝込んでしまった。まだ寝たいが、そうもゆかない。今日の宿泊予定地は、まだはるかに遠い。

​ 道路に出ると、烈日が照りつけ炎暑になっていた。盆を過ぎてもこの暑さだ。曇ってくれ、そう願いながら歩く。山歩きは楽しいが、アスファルトの道路歩きは楽ではない。桧木の丸太を満載したトラックが何台も過ぎ去ってゆく、爽やかな心地よい香りが残る。

 途中に石油採掘跡地があった。戦争中富士山から、石油が出ることを信じた人々が、海底400mまで掘り続けたが、石油は出ることはなかったらしい。

 この先勾配のなだらかな林道が続く、標高も徐々に上がって、暑さもそれほど気にならない。富士山山麓広域林道を歩き続けて、5時頃ようやく今日の宿泊地、グリーンキャンプ場の第2チェックポイントに着く。大勢の若者で賑わっていた。

 テントを立てようと思うが、旧式なので苦労する。隣からの手助けで、ようやく設営できた。夜遅くまで若者達が騒いでいるので寝つきが悪い。

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8月24日

 二日目 今日も快晴、早起きして旧富士スカイライン料金所跡に向け歩き出す。

5kmほど歩いた所に、旧料金所ゲート跡があった。このあたりが富士山の0合目に相当する場所だ。ここからが本格的な表富士の登山道の始まりだ。勾配は急になるが、美しい自然林が続き、富士山の懐に分け入って行く。全く登山者に逢わない、聞こえるのは、鳥のさえずりと風の音だけ、ただ静かだ。静寂の中、突然轟音響きわたる、自衛隊の射撃演習が始まった。

 5合目に近づくと、ようやく富士の山容が見えてくる。今日は数十年ぶりに頂に立つのだ、胸躍る。これから先は各ルートが交わり登山者の姿も見えてくる。宝永山の爆裂口を眺めながら、高度を上げてゆく。回り道して、火口壁を周遊したいところだが、先の行程を考えると、この後が苦しくなる。

 9時頃、第3チェックポイントの6合目に着く。ここは全国各地の登山者、世界各国からやって来た外国人客で大賑いの状態だった。青雲荘に立ち寄る、冷たい飲み物が限りなく旨い。腹ごしらえを十分して山頂を目指す。非常な急勾配が限りなく続く、日差しは強烈、ただ一途に山頂目指し登り続ける。2時頃山頂に着く、山頂は大賑わいの状態だ。

 山頂の上空は青空だが、雄大絶佳の眺望がない。ここは雲の上なのか、下界は雲が湧いて曇り空になったのだろう。お鉢巡りは昔やっているので、今回はしない。

​ 暫らく休憩して下山を決める。混雑する山小屋泊は辟易だ。最終バスに時間的余裕はあると思うが、下山者で混雑しバスの積み残しにでもなったら、面倒になる、それが心配だ。いつも小型テントを、リュックの奥に埋め込んでいるが、今回はそれが無い。

 山頂を極めて、身も心も軽やかだ。勾配は急だが快調に下って5合目に着く。5合目地点は富士山の森林限界、かつては御中道と呼ばれる、富士の中腹をぐるりと一周するルートがあった。荒廃が進み現在では、スバルラインの5合目から大沢崩れの右岸までが、歩行可能区間となっている。

 富士山を信仰の対象としている、富士講の信者が巡拝してきたもので、山頂に3回以上登頂経験ある者のみに許された道だと言われています。

 今では御中道は1/4になっているが、貴重な自然の宝庫、いつの日か歩いてみたい道だ。夕刻バスは旧有料道路表富士スカイライン(現在では県道となっている)をぐんぐん下って行く。

 昔はマイカーも5合目まで行けた。仲間と一緒に走った、その記憶が懐かしく蘇ってくる。その頃はまだ青年だった、思い出に浸りながら車窓の風景を楽しむ。

 愛車の待つホテルに20時頃着く。今ここに0からの挑戦は終わった。本来4日の行程を2日で強行した。だがそれほど疲れは感じなかった

 今回の計画に備えて、8月の最も暑い盛りに、海抜0メートルの河内港から、金峰山頂上までの往復を、三度行い鍛えておいた、それが良かったのだろう。

 これで宿題が一つ減ったことになる。あと黒部の上ノ廊下遡行、修験道の山大峰奧駆の後半が残っている。

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