個人山行 荒島岳(福井県)
2018年 9月21日(金)~25日(火) 報告・画像:Bella
シルバーウィークを利用して荒島岳に登った。
9月21日、自家用車で熊本を出発。フェリーと高速を利用して、22日、荒島岳の座する福井県大野市入り。登山コースを下見するも、予定していた佐開コースは地元の人でさえ登らない荒道とのことで、急遽勝原コースに変更する。
勝原コースはガイド本でも多く取り挙げられている荒島岳のメインコース。計画書を書き換え、23日、あらためて勝原の登山口へと向かう。
7時前、駐車場は既に県外ナンバーでほぼ埋め尽くされており、地味な印象の荒島岳とはいえ、やはり百名山。200人くらいの登山者がいると推定される。
7時15分登山開始。勝原スキー場からリフト終点までの急斜面を、陽光を浴びながら登ること1時間弱。荒島岳登山口と書かれた立派な標識に出会う。ここからブナの原生林が残る、美しい樹林帯歩きが始まる。
(リフト終点の先に登山口)
(美しいブナの樹林帯)
山道の一部は、台風21号の影響で折れたり、倒れたりした木々で覆われ、それらを乗り越えたりくぐったり、障害物競走しているように感じたが、地元の登山会、愛山会の皆さんが倒木を取り除いたり、巻き道を整えたりしてくださる姿をお見掛けし、有難く、感謝しながら進む。
白山ベンチ(1050㍍地点、北寄りに白山が臨めるポイント)を経てシャクナゲ平(1204㍍地点)で小休止。ここまで約2時間30分。木の根が露出しツルツル滑る粘土質の道や、階段状に整備されているが急勾配の道に体力を奪われ、思いのほか時間を要した。
シャクナゲ平から緩く下ると、当初予定していた佐開コースが南から合流する(佐開コースを利用したならシャクナゲ平までの2時間弱を省略できたという訳だ)
合流地点から先に進むと、滑落注意の看板が現れ、「もちがかべ」と言われる岩の露出した急登が始まる。張られたロープを頼りにゆっくり登る。ともすると見逃しそうな、短い杭のようなものに前荒島と書かれたピークを越え、中荒島岳と書かれた標識のあるピークの先、背丈ほどある大笹原の中を歩くと、ほどなくして荒島岳山頂へ(11時15分着)
(もちがかべの急登)
(前荒島、読めますか?)
360度の眺望。設置された羅針盤(東西南北、100座を超える?!名山が刻まれている)と見比べながら白山、乗鞍岳、御嶽山を確認する。祠に手を合わせて大休止。広い山頂は、以前あった気象観測所を取り除いた跡地とも。大勢の登山者を受け入れるにも余裕がある。十分リフレッシュした後、12時5分、下山開始。往路と同じ道を辿る。
(写真:トンボが飛び交う荒島岳山頂)
(日本三大霊峰「白山」)
(大野市側から見た荒島岳)
オヤマリンドウやアキノキリンソウなど、季節の花々を愛でながら慎重に進む。前日、コースの下見をした際、泥んこの登山者を数人目にしていたので、滑り、つまずきに特に気を付け丁寧に下った。15時、駐車場へ。山行終了。下山には約3時間要した。
(写真:秋の花々)
汗だくの体で、泊地、勝原駅西側にある民宿林湊を訪ねる。ここは、三百名山に挑戦中の田中陽希さんが8月末に泊まった宿で、食堂にはサインが飾ってあった。また、深田久弥氏の実母が福井県出身であることが縁で、深田氏自身、荒島岳には何度も足を運んだらしく、息子の森太郎さんのサインがあった。
宿のお母さんの話を聞きながら、山や地域に対する深い愛情、宿泊した登山者の安否を気遣う温かい想いに触れられたことにも、遥々荒島岳まで来た甲斐があった、と実感した。
九頭竜川の流れる音で目覚め、24日帰路に着く。永平寺に立ち寄り、六甲アイランドからフェリーに乗り、25日新門司港着。高速に乗って熊本へ。安全安心に山旅を終えられた。
さて、次はどこへ…。
=ひとこと=
台風や大雨の後、ピンポイントで晴れた日の登山で幸いだったが、とても暑かった。標高1523㍍の荒島岳の標高差は約1200㍍。汗だくにならずには登れない、私には大きな山だった。
【備考】 50歳代 女性 単独行